昔は車は若者たちの世界のものでした。今は違っています。

若者の車離れが激しい昨今

確かに、車というのは高額なものであり、本体のみならず維持費や各種税金、保管場所の確保、更に車を自由に乗りこなせるようになるまでの免許の取得にもまとまったお金が必要であり、自家用車以外の交通手段のない地方に住んでいるのでなければ、この不安定極まりない時代、庶民にとっては邪魔で面倒臭い代物、物好きな金持ちの道楽としか思えないかもしれません。

私自身、自家用車必須の地方に住んでいますが、もっと公共交通機関が発達していたら免許を取り、車を運転していたかわかりませんし、こんな田舎に住んでいてさえ、最近は車や免許を持っていない若い人達を時々見かけるようになりつつあります。

かつて社会に出る一歩手前の若者の殆どが皆自動車教習所に通い、免許を取得した時代がありました。毎日飽きもせず教習の予約に並び、学科教習室で欠伸を噛み殺し、同じような文章にも関わらずほんの少しの違いで正解と不正解とに分かれる試験の問題文や、教官のアドバイス通りにしているにも関わらず、まるで運命のように縁石に乗り上げてしまうS字カーブやクランクや、各種車庫入れに頭を悩ませる日々をほぼ誰でも青春の1ページとして持っている。

そんな世代がありました。免許を取得した瞬間の蛹から蝶になったような気持ち、私もそんな気持ちを味わった1人でした。

そんな時代の車は、まさに当時の若者たちにとってそれぞれ自分の世界そのものでした。車種や色はもちろん、中のクッション、シートカバー、芳香剤、音楽、それぞれが個々の若者の世界を作り上げる大切な素材でした。どんな車に乗り、内装をどんな風に整え、どんな芳香剤を使い、どんなカセットを入れているか(これはのちにCDやMDに変わりました)。それがその若者のほぼ全てを示し、それらを完璧に整えるために、若者たちは一生懸命働き、休日になると、その完璧な世界とともに街や海や山に向かい、青春を謳歌したものでした。

今、そんな風に若者たちを魅了するものとはなんでしょうか。

それはスマートフォンだったり、コンピューターだったり、その中のコンテンツのひとつひとつだったりするのかもしれません。かつて若かりし私たちにとって車そのものやそのインテリアが私たちの世界そのものを示したように、現代の若者は競うように新しいアプリをダウンロードし、スマートフォンそのものや、あるいは使っているSNSの壁紙やアイコンに工夫をこらし、よりたくさんリツイートやファボを貰えるよう、またはたくさんいいね!ボタンを押してもらえるよう写真の構図や文章を考える…それはかつての私たちが車のインテリアや香りや流れる音楽にこだわり、工夫を凝らす姿に何か似ているのではないでしょうか。

最近の車に関してはhttp://www.kuruma-zuki.com/がおすすめです。

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